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シリーズ奥州道中(15)「御城下の大名宿」

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年6月1日更新

データ

諸大名が宿泊や休憩の際に本陣や脇本陣にかけられていた関札

 龍光寺から街道に戻り北進すると、慈光寺の参道を挟み、北側に本陣(現街の駅および栃十交流館)、南側に脇本陣がありました。本陣は幕府役人の宿泊の他、別名大名宿とも呼ばれ、江戸時代を通し37諸大名の参勤交代を支えていました。

 一般的な本陣は氏家宿・平石家のように、世襲制で町の有力者によって営まれていました。しかし、喜連川宿の場合、荷物の運送など交通事務の一切を取仕切る問屋を兼務し、「本陣株」「問屋株」として入札を行い、最大250両(約5000万円程度)で経営権が売買されていました。そのため、1つの家によって代々相続されることはなく、長くても2~3代で交代し、宿以外の人や平町人でもなれたそうです。また、「権威の象徴」である高札※が本陣前にあり、屋根等で大切に保護されていました。火災時には高札を真っ先に取外すことを義務付けていたほどで、宿内における本陣の重要性を伺えます。

 当時の高札を想像しながら北に進むと、道中がクランク状に曲がっています。続きは広報さくら7月1日号でお知らせします。

※幕藩領主の決めた法度や掟を書いた板札