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シリーズ奥州道中(16)「焼きくらべの伝説」

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年7月1日更新

喜連川城下絵図中の東漸寺と鉤の手

喜連川城下絵図中の東漸寺と鉤の手

 

 

 本陣を背に、かつての中町一里塚を通過すると、右手に東漸寺(とうぜんじ)、正面に往還をクランク状にした「鉤の手(かぎのて)」と呼ばれる場所があります。現在はS字のカーブ状ですが、当時の地図を見ると直角に曲がり、東漸寺と共に宿北端の要塞機能を持っていたことをうかがえます。また、街道の整備された頃、この区間にまだ町屋はなく、野原に水の湧き出る沼地で「夜分には通り難き沢」と言われていました。

 そんな東漸寺に残る焼きくらべの伝説は、実際に明治9年3月に、公館と共に起きた火災にまつわるものです。当時、幕府が滅び喜連川宿も沢山の失業者で溢れていました。中間(ちゅうげん)※1だった2人も失業し、愚痴をこぼしていると、公館とお寺が元のままであることに気付きます。次第に「どっちが長く燃えるか」言い合いになり、2人で同時に火を着けて、お丸山から見比べたそうです。伝説の真偽は定かでありませんが、不安定な社会情勢の中で、公館と共に役所機能の一部を持ち、立派な本堂を建てていたお寺と、失業への不満から生まれたのかもしれません。

 街道に戻り、鉤の手を抜けると、喜連川宿ともお別れです。この続きは広報さくら8月1日号でお知らせします。

※1武士に仕えて雑務に従った者