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旧喜連川町の紹介

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年10月1日更新

喜連川町

昭和30年4月1日 合体 喜連川町(明治22年4月 町制施行)、上江川村

奥州街道と城下町   歴史情緒   城下町の趣
シンボル      清流   温泉   中心市街地   道の駅

奥州街道と城下町

「城下町」と[宿場町]。この二つの顔が喜連川に独自の風貌と歴史、文化を育んできました。
古くは「狐川」という何やら伝説めいた名で呼ばれていたこの地が、歴史的に整えられたのは、今から約800年前。源平合戦で功を立てたことによって、源頼朝から塩谷郡に二千町の土地を与えられた矢板川崎城主の弟塩谷五郎源惟広は、文治2年(1186)、お丸山に大蔵ケ崎城を築城。これが城下町としての喜連川の起こりとなり、同時にそれまでは「来連川」と綴っていたのを「喜連川」と改めました。
塩谷氏の統治は、17代400年に及びましたが、豊臣秀吉の東征の際、秀吉の怒りを恐れた17代惟久が出奔したために廃城。以後は足利氏の流れを汲む古河公方家が後を継ぎ、喜連川氏を名乗って、約280年にわたって統治。
2代頼氏の代に、山城の大蔵ケ崎からお丸山下に館を築き町割を行いました。以後「御用堀」や「寒竹囲い」が整備されるなどして、城下町としての喜連川が完成しました。
また、足利氏の血縁に当たるため喜連川氏は高い家格(四品格式十万石実高一万石)を誇り、幕府から特別な地位を与えられたので、このことが地の栄華を築く一因となりました。
一方、喜連川には古代から重要な道が通っていました。古くは「東山道」。大化の改新後に設けられた都と地方とをつなぐ7路の一つで、のちには将軍道も重なり、室町時代の義経記には『きづかは(喜連川)を打ち過ぎて・・・』とあり、義経はこの道を通って鎌倉の兄頼朝の陣に駆け付けたと書かれています。
江戸時代に入ると、五街道の一つ「奥州街道」が喜連川を通るようになります。宇都宮から白河までを結んだこの街道の中でも喜連川宿は賑わった宿駅の一つでした。
現在はその姿をとどめてはいませんが、宿中には諸大名が参勤交代のときに宿泊した本陣や脇本陣があり、まわりに多くの旅籠が立ち並んで繁盛していました。
今でも街道の面影を伝えているものには、あちこちに点在している道標のほか、早乙女の羽黒には500メートルほど昔のままの街道が保存されています。

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歴史情緒

歴史深い喜連川では、いたるところに歴史的な遺産が残っていますが、喜連川庁舎から歩いていける距離だけでも、多くの文化財を見ることができます。
まずは役場の西側にある「お丸山公園」。小高い山の頂上には、連郭式の代表的な山城、大蔵ケ崎城(のちに蔵ケ崎城)の堀や郭跡が残っています。喜連川丘陵の要害を巧みに利用した城で、五つの堀切と曲輪によって形づくられた山城です。
「お丸山公園」には遊歩道が巡っていて、そこを下っていくと「喜連川神社」があります。この神社は、何といっても県外までも勇名を馳せる「あばれ御輿」で有名。喜連川神社の夏祭りで、このときばかりはあふれんばかりの人が集まりますが、普段は深い竹藪に囲まれた静寂な神社です。
喜連川神社から古く趣のある裏通りを抜け、表通りを横切ると、少し奥まったところにあるのが「龍光寺」。
参道を歩いていくと古刹らしくひっそりとしていて、表通りがすぐ向こうにあるのが嘘のようです。
「龍光寺」は、記録が喪失したため詳しいことは不明ですが、創建は約六百年前。境内には喜連川足利家の歴代の墓や足利尊氏公木像、十一面観世音菩薩立像などがあります。
このほか、県指定文化財として専念寺の鉄造阿弥陀如来立像、連光院の銅像阿弥陀如来座像、慈光寺別院薬師堂の薬師如来や十二神将、鷲宿の西原古墳などがあります。

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城下町の趣

喜連川ならではの城下町のたたずまいを、今に伝えているものに「御用堀」と「寒竹囲い」があります。
「御用堀」は、領民思いの名君として知られる喜連川氏の十代ひろ氏が、飢餓や大火から領民を守るため、町中のどこにあっても生活用水が使えるように、天保十三年(1842)に開削した用水路。数十町歩の新田開発にも利用されて藩財政をうるおしました。
堀には荒川と内川から水を引いた二筋があり、現在「御用堀」と呼ばれているのは、荒川筋の「横町堀」です。平成十一年には一部修復して鯉を放流し、「やすらぎの散歩道」として町の内外の人々から親しまれています。
「寒竹囲い」は、この辺りに自生する「オカメザサ」を利用して作った生け垣で、別名「鼈甲垣」(べっこうがき)とよばれます。喜連川氏六代の茂氏が、腐朽しやすく製作修繕費がかさむ板塀に代えて、藩士の宅地を囲むことを奨励。以来、二百数十年にわたって、毎年七月中旬に竹の締めかえと刈り込みが行われ現在まで、喜連川の町並みに独特の風情を醸してきました。

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シンボル

温泉、歴史、桜、森、紅葉、展望・・・。こんな喜連川のさまざまな魅力が、一ヶ所に集まったのが「お丸山公園」です。代表的な観光スポットの一つであり、地元の人たちにとってはふるさとの思い出深い里山として親しまれています。
場所は喜連川の中心地。役場の西側に広がっています。公園のメインエリア、お丸山の頂上に行くには、いくつか方法がありますが、台町の交差点から車道を登って、車でいく方法が一つ。これはもっとも手軽で、楽な行き方ですが、いささか味気ないという欠点があります。「お丸山公園」の魅力を満喫するなら、次の二つの方法がお勧めです。
一つは「シャトルエレベーター」に乗る、もう一つは「遊歩道」を歩く方法です。
「シャトルエレベーター」は、急な山の斜面に敷かれたレールの上を、12人のりの小さなボックスが移動するもので、全長170メートルの急斜面をゆっくりと4分ほどかけて登っていくと、やがて眼下に街並みと田園風景が広がってきます。
「遊歩道」は、道沿いに多くの桜やツツジが並んでいて、ゆっくり歩いても30分ほどで頂上に着くので散歩に最適です。
お丸山の頂上に着くと、真っ先に目に入ってくるのが「喜連川スカイタワー」です。高さが約50メートルもあるこの展望台からは、森や清流、肥沃な穀倉地帯などはもちろん、遠くは筑波嶺、八溝三系、那須連山、高原山、日光連山、そして条件がよければ富士山までが見晴らせます。
また、頂上には日帰り温泉「喜連川城」があり、お丸山に塩谷氏の山城があったことから名付けられたこの温泉は、眺望と名湯が同時に楽しめるので、観光客のほか地元の人々にもファンが多い出で湯です。
このほか、喜連川の特産品がいろいろ手に入る物産センターや、子どもたちに人気の広場があったり、「お丸山公園」は、子どもから大人まで訪れた人にとって、もっとも魅力的な姿をいつでも気軽に見せてくれます。

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国道293号を氏家から喜連川方面に向かってくると、古戦場として有名な弥五郎坂を左にみてまもなく喜連川に入ります。やがて道は下り坂になりしばらくして二股に分かれ、一方は国道から県道に変わって喜連川の市街地へ、もう一方は国道のまま小川・馬頭方面へとつづいていきます。
この二股から、市街地に入る手前の荒川に架かる連城橋までは、およそ600メートル。まっすぐな緩い坂道が、広々とした田園の中に築かれた土堤の道を走り、遠くからでも一目でそれとわかります。
この特徴的な道を埋めつくすように並んでいるのが、約100本もの見事な桜並木。これが喜連川の二大桜名所の一つ、「早乙女の桜並木」です。
花の季節には、「さくら祭り」が開催され多くの人々が訪れるこの並木は、「とちぎの景勝100選」にも選ばれています。
喜連川のもう一つの桜の名所は「お丸山公園」。
この公園の始まりは、昭和10年、地元出身の財界人、斉藤定吉氏(名誉市民)が、この地を喜連川町に寄付してから。以来、ソメイヨシノ300有余本、つつじ1000有余株の花々が咲き競う、県下屈指の花の名所になりました。また、夏にはアジサイ、秋には紅葉に彩られるなど、年間通じて様々な色彩が競い合います。

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清流

さわやかな森の木立にあふれ、実り豊かな農地が広がる喜連川。彩りの鮮やかな草木や農作物はまちをめぐる美しい水によって育まれ、喜連川では、そんなうるおいのある水の景色にあちこちで出会うことができます。
荒川と内川。この二つの川は、何と言っても喜連川の水を代表する景色。沿岸に古墳や古代住居跡などが点在し、その恵みが古くからの喜連川の歴史を支えてきたことが窺える内川。鮎釣りで有名で、シーズンには遠く首都圏からも大勢の太公望が訪れる荒川。二つの豊かな流れは、いたるところで心地よいせせらぎを響かせながら、町の四季折々の自然に彩りを添えていきます。
また、上江川地区を北西から南東に横切る江川、岩川は、川幅は狭いながらも透明感のある清流をたたえ、地域の人々に欠かせない存在となっています。
このように喜連川では、荒川や内川のような清流のほかにも、さまざまな水の景色が町のいたるところで見かけられます。

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温泉

「突抜き井戸」あるいは「掘抜き井戸」と呼ばれる珍しい井戸のことをご存じでしょうか。地面を20~60メートルくらい掘っていくと、やがてポンプや道具を使わずとも、地上までこんこんときれいな水が自然にわいてくるという不思議な井戸のことです。
喜連川では明治の末頃に初めてこの井戸が掘られ、以後はあちこちで造られるようになって、現在でも60数カ所の「突抜き井戸」が残されています。喜連川の中心街は狭間の地形で、地下水層が周りの山の山頂近くにあるため、平地を突き抜くと地下水が自然に噴出する(自噴水)する現象を生じ、これを地元では「突抜き井戸」と呼んでいます。
全国でも「突抜き井戸」があるところは3ヶ所しかないと言われるほど貴重なものです。そして、昭和56年、喜連川に新たな「自然の恵み」が与えられることになりました。
それが温泉です。
全国の温泉ブームに先駆け昭和56年1月に温泉掘削を開始しました。そして同年11月8日、地下1,242メートルに達したパイプから、もうもと湯煙を上げて55度の温泉が噴出。
その温泉は豊富な湯量に加え、何よりもその泉質が日本でも有数と言われるほどに優れていました。硫黄、塩分、鉄分という温泉の主成分の3要素をすべて含み、しかも弱アルカリ性。
効能は確実に発揮しながらも、肌にやさしいという名湯です。泉質の正式名称は、ナトリウム塩化物泉(弱アルカリ性高温泉)。適応症を列記するとリウマチ性疾患、慢性中毒症、糖尿病、皮膚病、にきび、しもやけ、運動障害、神経麻痺、創傷、婦人病、虚弱体質等々。これら適応症の多さを見ただけでも、この温泉がいかにすぐれているのかがわかっていただけるかとおもいます。
町にはこうした優れた温泉がたっぷり楽しめくつろげる、さまざまな施設があります。
「もとゆ」「喜連川城」「露天風呂」「道の駅きつれがわ」「早乙女温泉」は日帰り温泉。ほかに宿泊もできる「かんぽの宿・喜連川」「国民年金保養センターきつれがわ」「ハートピアきつれ川」もあって、日帰りから宿泊までお好みに合わせて、喜連川自慢の出湯が満喫できます。

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中心市街地

全国の傾向同様、年々中心市街地が郊外部への大型店の出店等により空洞化が顕著になっており復興の手だてが急がれていたところであります。
平成14年度に「喜連川町市街地活性化基本計画」を策定し、昨年度警察署跡地のリニューアルに着手しました。
中心市街地区域の中央で県道に面し、また、中心商店街の中心部に、この建物があり、大正時代の佇まいを今に残す歴史的建物であり、リニューアルすることにより新たな観光スポットとしての存在を示すとともに、その一方ではテナント店舗として改装することにより、既存の商業店舗と異なった商業スペースを構築したものであります。
また、現在喜連川に点在している8ヶ所の温泉施設に訪れている年間84万人もの観光客を中心商店街に誘導し、そこから観光はもとより商業や農業等の情報を発信する基地としての役割を果たすものとなっております。
施設の利用としては、「街の駅本陣」として、現在テナントには、商店主の団体が「食房蔵ヶ崎」として、大正時代のロマンを醸しだすレトロ調の「軽食・喫茶」を開店し好評を得ています。

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道の駅

市街地の南東で荒川と内川が合流しますが、この合流ポイントに平成13年6月にオープンしたのが、「道の駅きつれがわ」です。地元特産物の買物や観光・道路の情報サービス、食事、休憩などができるほか、日帰り温泉まで楽しめて、喜連川の新しい観光スポットになっています。
「道の駅」に隣接しているのは、「水辺公園ジョイフルブルーパーク」。荒川の清流沿いに、子どもたちでも安心して水遊びができる池やバーベキューが楽しめる設備などがあって、休日には大勢の家族連れで賑わっています。

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