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「平成25年度人権に関する作文・イラスト」の市内優秀賞受賞者作品

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年2月5日更新

さくら市では4名が優秀賞を受賞しました

 栃木県教育委員会では毎年、すべての人々が互いの人権を尊重し、共に生きる社会の実現を目指して、県内の小学校・中学校・高等学校及び特別支援学校の児童生徒とその保護者を対象に、人権に関する作文・イラストを募集し、入賞作品を発表しています。

 今年度、作文の部門については、さくら市内で以下の4作品が優秀賞を受賞しました。県教育委員会では、人権について、主に女性の人権、子どもの人権、高齢者の人権、障害者の人権、外国人の人権、同和問題、その他の人権と、おおまかに分けています。

 今回の受賞作品では、主にその中の、女性の人権、障害者の人権、その他の人権について書かれており、何気ない日常の出来事を人権的な視点で鋭く描き、それぞれの人権に対する思いを述べています。

 この機会に作品に触れることで、改めて人権を身近なものとして考えてみてはいかがでしょうか。

 なお、今回は作文のみ掲載します。また、掲載にあたり、関係者の許可を得ています。

優秀賞受賞者

 

さくら市立喜連川小学校 1年生 猪又 悠愛(ゆうな)さん

 わたしのランドセル

              き小 一ねん いのまた ゆうな

 わたしのランドセルは、ちゃいろです。 

 クラスのおともだちのランドセルは、あかやくろ、みずいろやピンクなど、いろいろないろのランドセルがあります。ちゃいろのランドセルは、おとこのこでもおんなのこでもつかっているこがいるいろです。

 ランドセルをかうまえ、わたしはあかいランドセルがほしいとおもっていました。それは、いえでつかっているドリルにでてくるおとこのこのランドセルが、あかいいろでかわいいとおもったからです。でもおみせでいろいろないろのランドセルをみて、ちゃいろはおとなっぽくて、おしゃれだなぁとおもいました。

「ちゃいろもいいな。」

ときもちがかわって、そのちゃいろのランドセルにきめました。

 わたしのおかあさんがこどものころ、ランドセルはくろとあかの二しょくだけだったそうです。わたしは、ドリルにでてくるおとこのこがあかいランドセルだったことをおぼえていたので、おかあさんに

「おとこのこで、あかいランドセルのこはいなかったの。」

とききました。おかあさんは、

「いなかったよ。おとこのこはくろでおんなのこはあかときまっていた。いまのように、すきないろをえらぶかんがえはなかったなぁ。そういわれると、どうしてだろうね。」

といっていました。

 いろは、「おとこ」や「おんな」にわけるきまりはないのに、どうしておとこのこがくろでおんなのこがあかなのか、ふしぎにおもいました。どんないろでもすてきだし、かっこいいとおもうからです。

 おかあさんのランドセルのはなしをきいて、いまはすきないろをえらべるのでよかったとおもいました。わたしはこれからも、じぶんがえらんだちゃいろのランドセルをたいせつにつかいたいとおもいます。

 

さくら市立喜連川小学校 5年生 坪井 凛さん

   「大丈夫」っていいね

                 喜連川小学校 五年 坪井 凛

 私は震災で津波を経験しました。地震のあと大きな津波がくるから、避難するようにと町の放送がありました。私の親友の家は海の目の前だったので流され、海が見えた自慢の駅も無くなりました。避難したあと学校にも津波はきたそうです。だから私は今でも海が怖いです。

 今年宿泊学習がありました。宿泊学習は楽しみだったけど海に行くのは嫌でした。栃木には海がありません。だから二年ぶりの海です。やっぱり海が怖いと友達に言いました。

すると、

「大丈夫だよ。」

と、手をひっぱってくれました。そしてその一言で本当に大丈夫だったのです。一言だったけど私の気持ちをわかってくれた気がしてとても嬉しかったです。

 私は大丈夫という言葉が大好きになりました。栃木では、大丈夫を「だいじ」と言います。だいじとは、大切とか大事という意味ですが栃木では、大丈夫なのです。なんかとってもいい言葉だと思います。

 困ってる友達がいたら今度は私がその子の気持ちをわかってあげて大丈夫だよと声をかけてあげたいです。みんなが相手の気持ちをわかってあげればいじめとか差別とかはなくなってみんな幸せになれると思います。

 人権とは人間としてみんなが同じく生きることの権利ということだそうです。自分だけが幸せならいいんではなくみんなが幸せじゃなきゃダメなのです。

 それでは、幸せとはどういうことでしょう。あの日私があの津波で自分の大切な人をなくしていたら二年五か月たった今、幸せだと思えてたかなとか、家を流されてしまった親友も会えば楽しそうにしてるけど本当はさみしくて幸せじゃないのかもとか、考えてしまいます。そういう人がいっぱいいっぱいいると思います。だから、私はそういう人達みんなに、

「大丈夫だよ。だいじ!だいじ!」

と言ってあげたいです。

 みんなが幸せだと思える日がくるにはまだまだ時間がかかるかもしれないし大変なことかもしれないけど、まずは私から相手の気持ちを考えて思いやりのある言葉をかけてあげられる人になりたいです。

 

さくら市立喜連川中学校 1年生 石塚 千夏さん

  勇気から生まれた笑顔

                   喜連川中学校 一年 石塚 千夏

 私は両親のすすめで、小学校二年生から手話教室に行っています。

 そこには三人の先生がいらっしゃるのですが、一人は、全く耳が聞こえない「ろうあ」の方です。

 いつも明るく朗らかな先生は、教室の中心的な存在です。初心者で、まだ手話のわからなかったときにも、どんどん話しかけてきてくれました。ただ、先生の口の動きを見て、何を言っているのか読み取るのは、とても難しいことです。内容がよく理解できず、困った顔をしていると、先生は私の目をじっと見て、ゆっくり、ゆっくり大きな口を開けて、話をしてくれました。そのため、少しずつ慣れていくことができたのでした。

 私も自分が話すときには、先生の目を見つめて、大きな口を開け、一つ一つの言葉を丁寧に言うようにしています。そして、その都度、先生は大きくうなずきながら笑顔で聞いてくれるので、自信も生まれてきました。

 私のほかにも、大学生やお年寄りなどがおり、先生を交えて、お互いに普段の生活を話し合います。相手の言うことを一生懸命に聞こうという気持ちが伝わってきて、私はいつも優しい雰囲気に包まれるのを感じるのでした。

 ある日のこと、手話教室の皆さんと、被災地の石巻を訪れたことがありました。先生のお友達のろうあの方々も数名もいらっしゃり、みんなで、いろいろな場所をめぐりました。

津波によって三千人以上の尊い命が失われ、がれきの山と化していた街も、少しずつ復興が進み、元気を取り戻そうとしているように見えました。

 最後におみやげを買ったときのことです。買い物をすませ、ベンチで休憩していると、先生のお友達とお孫さんが、目の前のお店に入ってきました。どうやら、お孫さんのために洋服を選んでいるようでした。そして、店員さんに洋服について手話で尋ね始めました。店員さんも一生懸命に理解しようとしていましたが、他のお客さんから声をかけられたため、そちらの方の対応をしに行ってしまいました。そのため、先生のお友達と、そのお孫さんは、その場にポツンと残された形になってしまったのです。

 私はその様子を見て、放っておけないと思いましたが、まだ一人で手話をするには自信がありません。そのうち心臓がバクバクしてきました。しかし、勇気を出して、二人に近づきました。

 背中を「ポン」とたたくと、お友達は振り返り、ほっとしたような表情になりました。質問はお孫さんにあう洋服のサイズのことでした。私は何とか、店員さんにそのことを伝えました。大きめのサイズしかないけれど、子どもはすぐ大きくなるから大丈夫という店員さんの答えを、今度は二人に伝えることが

できました。お友達とお孫さん、そして店員さんの間に笑顔が生まれた瞬間を見て、私もとてもうれしくなりました。気がつくと、手に汗をかいていました。思った以上に緊張していたことを実感するとともに、それでも勇気を出して良かったなと思いました。

 何気なく始めた手話でした。初めは指文字で名前を表せることが楽しく、一つずつ手話を覚えていくことがおもしろかったように思います。手話だけでなく、先生の口の動きから言葉を読み取ることができるようになると、会話をすることも楽しくなりました。

 そして、今回の経験を通して、手話を学ぶことの本当の意味がわかった気がします。手話や読唇術ができれば、耳が不自由な方の気持ちや考えを理解することができます。そして、それを代わりに伝えることもできます。あのときの店員さんのように、何とかしてあげたいと思っても、その手段がなければ、あきらめてしまうこともあるでしょう。

 お店の中で、ポツンと取り残された二人の姿と、私に気づいたときのほっとした表情を私は今でもはっきりと覚えています。

 私の近所には外国から来たお嫁さんがいますが、地域の人たちとも仲が良く、とても楽しそうに暮らしています。それは言葉や人種の壁を越えて、一人の人間として受け入れられているからだと思います。

 障害があったり、言葉が通じなかったりしても、孤独感を感じすに明るく、楽しく暮らしていける社会を私たちは築いていかなければなりません。

 そのためには、お互いを理解し合おうという気持ちを持つことはもちろんですが、積極的に手話や外国語を学んだりすることも大切だと思います。言葉でなければ伝わらないこともたくさんあるからです。

 わかっていても、なかなか行動できなかったあの日。でも勇気を出して一歩踏み出したときに生まれた笑顔のことを、私はこれからも決して忘れないでいこうと思います。この社会が本当の笑顔であふれるために。

 

喜連川中学校 2年生 上田 美萌里さん

   一つの出会いから

                 喜連川中学校 二年 上田 美萌里

 「どうぞ、座ってください。」

母は席を立った。それは、新大阪駅から三ノ宮へ向かう電車内での出来事だった。

 夏休みのある日のこと。姉が出場する全国大会の応援に、私は、母と妹と一緒に神戸へ行った。ホテルへ向かうために乗った電車は、今まで経験したことがないくらいに混雑しており、立っているのもやっとというほどであった。

 大阪駅を過ぎると、それまで多くの乗客でびっしりと埋め尽くされていた座席も少し空きが見えるようになり、私たち三人は並んで座れるスペースを見つけることができた。

 ところが、やっと座れたばかりなのに、母はすぐに立ち上がった。私は何だろうと思い、振り返ってみると、杖をついたおじさんが、ゆっくり、ゆっくりと歩いてきたのだ。どうやら左足が不自由なようだった。

「どちらで降りられますか。」

母が尋ねると、三ノ宮よりも先の駅名を言った。母は続けて、

「奥に座られますか。」

と聞いた。

「左半分が動かないから、奥に座ると降りるのが大変でね。」

おじさんは申し訳なさそうに、母が空けた手前の席にゆっくりと腰掛けた。

 おじさんが横に座った瞬間、なぜか私は、「怖い」という気持ちになり一気に緊張し始めた。そして、おじさんを避けるかのように、無意識に間隔を空けて座ってしまっていたのである。

 しばらくすると、母は、そのおじさんと会話を始めた。病名をはっきりとは言わなかったが、若い頃に倒れて、半身不随になってしまったらしい。左半分が動かせないから、一つ一つの動作が大変そうだった。

 私は妹とおしゃべりをしていたのだが、おじさんと母の会話にも耳を傾けていた。左半身が不自由であることを知り、少し気になったからだ。

「どちらからおいでですか。」

と聞かれた母は

「栃木から来ましたが、神戸はよく知らなくて……。でも、景色がきれいですね。」

と笑顔で答えた。

「神戸にはおいしいものもたくさんありますし。」

 おじさんは、ホテル関係の仕事をしているそうで、私たちが泊まるホテルにも詳しく、神戸のことをいろいろと親切に教えてくださった。一緒に話を聞いているうちに、いつのまにか、緊張感や「怖い」という気持ちがなくなっているのに気づいた。そして、何か力になりたい!と強く思ったのだ。今までも、障害がある方に対し、何か役に立ちたいと思ったことは何度もあるが、それは何となくであって、このように心から思えたのは、これが初めてだったかもしれない。

 やがて、私たちが降りる三ノ宮の駅に着いた。

「どうぞ、お元気で。」

と母が言った。おじさんも

「どうも、ありがとう。」

と笑顔で返してくれた。お礼を言うのは私たちの方だ。席を立った私は、

「ありがとうございました。」

と言って電車を降りた。おじさんと出会えてよかった。おかげで、神戸の旅がよい思い出になった。

 私は母のように、誰に対しても、優しい心を持っていたいと思った。母はとても自然におじさんに声をかけ、思いやりと敬意をもって接していた。おじさんもまた、その気持ちに応えてくれた。母の言葉や行動は、私たちに人としての「あるべき姿」を教えてくれたように思う。「人には優しくしなさい。」などと、百回言われるよりも、あのときの母の姿は数倍も説得力があり、私は、そんな母を誇らしく思った。この先、障害がある人たちと接することがあっても、恐れたり、避けたりせず、自然に行動することが大切なのだということを実感した。

 人はどうしても、見慣れなかったり、自分たちとは違うと思ったりすると、よく確かめたり、理解したりしようとせず、自分との間に見えない線を引いたり、高い壁を作ってしまったりしがちである。おじさんが隣に座ったとき、私が作った、わずかな「隙間」は、それを物語っていたのだと思う。

 「『思い』は見えない。けれど、『思いやり』は見える」という詩の一節が、あの東日本大震災の直後、毎日のようにテレビから流れた。あのとき、日本はたくさんの「思いやり」であふれ、人を思いやることが自然と皆できていたように思う。

 あれから二年経ち、「思いやり」が見えにくくなり始めた今だからこそ、自分の「思い」が自然と形にできるよう、勇気と自信を持って生きていきたいと思う。