ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織で探す > 生涯学習課 > 「平成26年度人権に関する作文・イラスト」の市内入賞者作品

「平成26年度人権に関する作文・イラスト」の市内入賞者作品

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年1月1日更新

さくら市内の小中高等学校では5名が入賞しました

 栃木県教育委員会では毎年、すべての人々が互いの人権を尊重し、共に生きる社会の実現を目指して、県内の小学校・中学校・高等学校および特別支援学校の児童生徒とその保護者を対象に、人権に関する作文・イラストを募集し、入賞作品を発表しています。

 今年度、さくら市内の小中高等学校では以下の5名が入賞しました。

 今回の入賞作品は、外国人の人権、障がい者の人権等について書かれており、自身の経験した身近な出来事を人権的な視点で鋭く描き、それぞれの人権に対する思いを述べています。

 この機会に作品に触れることで、改めて人権を身近なものとして考えてみてはいかがでしょうか。

 なお、掲載にあたり、関係者の許可を得ております。 

人権に関する作文

最優秀賞

「相手の気持ちを考える」喜連川中学校 2年 佐竹毎斗さん [PDFファイル/171KB]

優秀賞

「わたしのかみの毛」 上松山小学校 2年 町田恋花さん [PDFファイル/79KB]

「アメリカで学んだこと」 氏家中学校 1年 斎藤陽生さん [PDFファイル/153KB]

「当たり前になるために」 さくら清修高等学校 1年 島ひかりさん  [PDFファイル/145KB]

(ご注意)転載等はご遠慮ください。

人権に関するイラスト 

最優秀賞

「みんな仲良く」 氏家中学校 1年 山本真奈香さん 

平成26年度人権に関するイラスト 最優秀賞 氏家中学校 1年 山本真奈香さんのイラスト 「みんな仲良く」

作品の紹介

喜連川中学校 2年 佐竹毎斗さん

「相手の気持ちを考える」 喜連川中学校 二年 佐竹 毎斗 

 「かわいそう。」

僕が放った、この一言が友達を深く傷つけた。

 小学校中学年のときである。僕にはとても仲の良い友達がいた。学校ではいつも一緒だったし、家に帰ればすぐに、彼の家に遊びに出かけることが、僕の日課だった。

 彼には四つ違いの「ダウン症」の弟がいた。いつも楽しそうで、お兄さんが大好きということが全身から伝わってきた。そんな弟の面倒を彼もよく見ていて、僕が遊びに行っても、ずっと弟のそばにいた。僕は弟のことをもっと知りたかったのだが、彼があまり話したがらなかったので、しばらくは何も聞かないことにした。

 しかし、あるとき、ふいに

「Kちゃんの弟、病気なの?かわいそうだね。」

という言葉が僕の口から出た。すると、今まで見たこともない険しい表情で

「うるせえ!かわいそうなんかじゃねえよ。」

と怒鳴られてしまったのだ。僕は唖然となった。彼のことを思って言っただけなのに、なぜ、そんなふうに怒鳴られなければならなかったのか理由がわからず、無性に腹が立ってきた。

 それからというもの、彼と話すこともなくなり、当然、家に遊びに行くこともなくなった。そして、心にモヤモヤを残したまま僕たちは進級した。

 しかし、始業式の日、意外なことが起こった。貼り出された新しいクラスの名簿のどこを探しても、彼の名前がなかったのである。急いで担任の先生のところに行き、彼のことを尋ねると、親の仕事の都合で東京に引っ越したと言われた。結局、彼からは何も聞けないまま別れることになり、心のモヤモヤはいつまでも僕の中に残った。

 数日後、彼から手紙が届いた。手紙には、こう記されていた。「あのときは怒鳴ってごめんね。でも弟はかわいそうなんかじゃないよ。」

 僕はこのとき、彼が謝ってくれたうれしさよりも、障害があるのにかわいそうではないという彼の言葉に疑問を抱いた。ハンディを背負うということは、本人も家族も、やはり大変なことだと思っていたからだ。せっかく手紙をもらったのに、僕の気持ちは晴れず、返事を出す気にもなれなかった。

 それから半年ほど過ぎて、彼のことも、心のモヤモヤのことも忘れかけていたとき、あるテレビ番組が目に止まった。それはダウン症の人の生活に密着するという内容だった。僕はこれを見ていて、あることに驚いた。それは、誰もが口をそろえて、「生きることが楽しい」と言っていたことだ。それは、僕の中の障害者のイメージを大きく覆した。僕はこれまで、ハンディを背負っている分、人より苦労することがたくさんあり、差別を受けることも多く、生きることそのものが大変だと勝手に思い込んでいた。しかし、テレビに映っていたのは、僕たちと同じように特技や趣味を持っていて、できないことには果敢に挑戦する姿だった。ハンディのことなど感じさせず、全力で楽しんでいる姿に心を打たれた。そして最後に、

「僕は、障害があることを自分の個性だと思っています。気を遣ってかわいそうと言ってくれる人がいます。当然、バカにするつもりなどない、優しさから出る言葉だとわかっています。しかし、それは僕が一番傷つく言葉です。家族はみんな、僕のことを愛してくれるし、何かしようとすれば全力で応援してくれます。たとえ、障害があっても支えてくれる人がいる限り、生きることは幸せです。」という言葉を聞いたとき、僕の心の奥底にずっとあったモヤモヤが一気に晴れたのを感じた。と同時に彼への罪悪感でいっぱいになった。障害がある人はかわいそう、それは一般的な考えだと思っていた。しかし、そうではなかった。むしろ、そう思ったことが彼らを傷つけていたのだ。あのとき、優しさのつもりで言った一言がどれほど彼を深く傷つけてしまったことか。今となっては、もうどうすることもできない。これは僕にとっての一生の後悔になった。

 ある先生が、かつてダウン症の生徒を受け持った時のことを話してくださったことがある。いつもニコニコしていて、周りにいるすべての人たちを自然に笑顔にしてくれる存在だったという。心ない言動に傷つき、悩み、苦しんだことも少なくなかったけれど、それでも決して他人のことを責めたり、悪く言ったりすることはなかったそうだ。人として大切なことを彼から学ばせてもらったと先生はおっしゃっていた。

 優しさのつもりで言った何気ない一言。しかし、それは相手を深く傷つけてしまった。この経験を糧に、思い込みや一般論で物事を判断するのではなく、相手のことを正しく理解した上で、その立場や気持ちを考えていけるような人間に成長していきたいと思う。

上松山小学校 2年 町田恋花さん

「わたしのかみの毛」  上松山小学校 二年 町田 恋花 

 わたしのかみの毛は、生まれつきフワフワで、ぼさぼさしています。

 ようちえんのころ、プールからあがると、友だちから、

「れんちゃんのかみの毛ってぼさぼさだね。おばけみたいだね。」

と言われたことがあります。そのとき、なんでわたしだけがちがうのだろうかとかなしくなりました。かんがえてみると、お父さんもお母さんも、二人のおねえちゃんも、みんなみんなかみの毛はまっすぐです。いえにかえり、すぐにかがみの前に立って、自分のすがたをじっくり見てみました。かがみにうつった自分のかみの毛は、やっぱりぼさぼさしています。わたしの目にはなみだがたくさんあふれてきました。

「もういやだ。かみの毛なんていらない。」

そう思ったわたしは、思い切ってお母さんに聞いてみました。お母さんは、

「れんちゃんは、ママににているからかみの毛がフワフワしているのよ。ママも子どものときは、フワフワだったけど、だんだんまっすぐになってきたのよ。」

とわらって教えてくれました。つづけて、

「れんちゃんのかみの毛は、フワフワがかわいいよ。パーマをかけているみたいでとってもいいかんじだよ。」

と話してくれました。

 お母さんの話を聞いて、心がかるくなり、とってもうれしくなりました。みんなとちがうかみの毛だけど、フワフワでかわいいと思ってくれる人がいるだけで、こんなにきもちがかわるんだとふしぎに思いました。

 わたしのまわりにもいろいろな人がいます。そして、みんなちがいます。ちがうことをわるく言ったら、みんないやなきもちになります。それよりもわたしは、

「みんなとちがっていいよね。みんなとちがってかわいいよね。」

と言える人になりたいです。

氏家中学校 1年 斎藤陽生さん   

「アメリカで学んだこと」  氏家中学校 一年 斎藤 陽生 

 二年前、僕はアメリカに引っ越した。何も分からないまま、アメリカオハイオ州の現地の学校に通うことになった。聞いたことのない言葉、何が書いてあるのか全く分からないプリント……。突然の父の転勤で、僕の小学校生活が大きく変わった。

 言葉も習慣もわからずとまどう中、一人のクラスメートが突然僕に話しかけてきてくれた。

「やぁ!僕はヤンだよ。こんにちは。」

「こんにちは……。」

と小さな声で、返すのがやっと。

 きらきらした目で僕を見ている。名前を聞かれて、ゆっくり、緊張しながら答えた。

「宿題の意味は分かるかい。」

「いや……全然。」

その後は、多分自分が教えるからついてこいというようなことを言って、僕を自分の家に連れて行ってくれた。そして見事に宿題をクリアした。

 正直僕はびっくりした。あまりにも突然だったし、彼が中国人だったからだ。その頃も、日本にいるとき、中国と日本の関係は、領土問題や歴史問題などで、あまり良いものではないと聞いていた。それなのに、僕を日本人と分かっていても話かけてくれたのだ。

 最初に、クラスをひととおり見回したとき、中国人のヤンとは目が合った。お互い珍しい東洋人だからかもしれない。でも、自分ははじめ、サッと目をそらしてしまった。中国にあまりよいイメージを持っていなかったからだ。

 でも、ヤンはいつでも、僕に理解できる単語やスピードで話してくれた。僕の話も笑いながら聞いてくれた。

 結局僕は、このヤンと一番の仲良しになったし、ヤンをきっかけにクラスメートと仲良くなることができた。

 どうしてそんなに親切にしてくれるのか、なにげなく聞いたことがある。実は彼も、ここに移り住んできたときに親切にいろいろ教えてもらったからだという。何とその少年が、日本人だったというのだ。今は、日本に帰国してしまい会えないが、自分のしてもらった親切を同じように返しているつもりだという。

 僕はそれを知り、とても嬉しかった。ほかの皆もすごく優しくしてくれた。アメリカ人、カナダ人、メキシコ人、ブラジル人、スペイン人、ドイツ人、マレーシア人、ケニア人、ウガンダ人、インド人、中国人など、世界各国の血を引いている生徒がたくさんいた。共通の言葉はもちろん英語だが、英語が上手くなくてもお互いを思いやっていた。自分もヤンのおかげですぐにその輪の中に入っていけた。

 皆、前にいた日本人のことをよく思い出して話してくれた。その彼が、そのまま日本人の印象につながったのかもしれない。だから、日本人の僕にも抵抗なく話してくれるようになったのかもしれない。テレビのニュースのままの関係だったら、日本人の僕と中国人のヤンは仲良くなれなかっただろう。

 僕が一年ちょっと過ごしたその学校は、ボランティアにも力を入れていた。特にアフリカ大陸へのボランティア活動が盛んだった。たくさんの人種がいたので、学べる言葉は英語だけではなく、スペイン語、フランス語、中国語を勉強することもできた。

 世界中の友だちとお菓子の交換をする授業もあった。僕は日本の自慢のお菓子「かりんとう」を出した。ヤンはおそるおそる食べて笑った。ほかの友だちも食べながら口々に言った。「これはパンをチョコレートでコーティングしたものじゃないか。」でも、大人気でいつも交換はあっという間に終わり売り切れに。僕はベルギーチョコと中国の黒いアメがお気に入りになった。

 皆、自分の国のことを自慢する。僕みたいに後ずさりせず前に出て話す。それぞれに、自分の国が大好きなのだ。誇りを持っている。でも、他の国をけなしたり、否定したりすることもない。それぞれの良さを感じようとしていた。僕が日本に帰るときにパーティを開いてくれて、そこで皆で泣きながら食べたクッキーやケーキは一生忘れられない思い出となるだろう。

 日本に帰ってきた今、僕がこれからできることは何だろう。僕はいろんな国の人と接して、考えが広がった。人を受け入れることができるようになった。出身地のお国柄、人種などで、「偏見」を持ってはいけないということを学んだ。勝手なイメージを持って接しては本当の理解はできないということも実感した。それらを伝えていきたいと思う。日本人同士だって同じだ。偏見を持たずに人と接することが本当の理解につながる。

 今でもたまにアメリカに住んでいる友だちとメールをする。電話もする。その中で時々けんかもする。でも僕は嬉しい。本当に心を開ける友だちができたのだから。 

 

さくら清修高等学校 1年 島ひかりさん  

「当たり前になるために」  さくら清修高等学校 一年 島 ひかり 

 私が考える「人権」。それは、人と人とが平等に、支え合ってこの社会で生きていくうえで必要な、誰もが持っている権利。それを守るためには社会の中でさまざまな人たちが助け合いながら維持していくもの……そう思っていました。しかし最近、その人権が守られていないのではないかと思う経験をしたのです。

 友達と、宇都宮の街を歩いていた時のことです。目的の建物に着き、中へ入ろうとした時、一人の男の人が目に留まりました。その方は片手に白杖を持ち少しずつ建物の壁へと近づいていきました。目の不自由な方と会うのはこの時が初めてでした。しかし、困っているということはすぐ分かったので友達とその方のもとへ駆け寄り、声をかけました。その時私はその方の安堵した表情を見て、なんだかとても申し訳ない気持ちになりました。私たちが来る前もずっとここで一人困っていたのだろうか。こんなに人通りが多いこの場所でも、誰も手を貸そうとしなかったのだろうか……そんなことを思うと、胸がしめつけられるように感じました。確かに、知らない人に話しかけるのはとても勇気がいることで、それが恥ずかしいと思う人も多いと思います。しかしあの状況で、恥ずかしいなどという暇は無かったと思います。目の前に困っている人がいる、それを見たらすぐに助ける、それが当たり前。さまざまな人たちが行き交う都会では、そんなことも日常茶飯事なのだろうと私は勝手に思い込んでいましたが、実際の世の中はそうではなく、少し冷めていると思いました。

 後日、その男の方が、わざわざ私たちの学校に訪ねてくださり、私と友達、校長先生、学年主任の先生でお話をしました。その男の方は、終始、私たちに頭を下げながら「本当に嬉しかった。本当にありがとう。」と、一生懸命感謝の気持ちを伝えて下さいました。その方が帰られた後、校長先生やその他の何人もの先生方が、「素晴らしいね、感動した。」と口々に言って下さいました。もちろん、それらの言葉はとてもうれしかったですし、温かい気持ちにもなりました。しかしその時私は少しの違和感も同時に感じたのです。なぜならそれは、私たちはそれ程までに褒められ、喜ばれるようなことをした覚えがないからです。後で友達にもその話をしてみたところ、彼女も同じことを隣で思っていたそうです。私たちは男の方に声をかけた時、少し緊張はしたけれどなにか特別なことをしているような感覚はありませんでした。それは、このようなことはいつだって当たり前のように起きていることで、誰でもやることだと信じていたからです。しかし私たちがそのことをしてこんなにも褒められ、うれしがられたのは、やはり、障害のある人、あるいは困った人を助けるという行為がまだ当たり前になりきれていないからなのです。私が抱いた違和感の謎は解けましたが、同時にもっと大きな問題に突き当たってしまった気がします。

 最近の日本ではバリアフリーの設備が少しずつ充実してきました。しかし、バリアフリーが充実したからといって周りの手助けが不要になったというわけではありません。どんなに便利な機械や道具に手助けされるよりも、やはり温かい人の心遣いに触れ、支えられることのほうを障害のある人たちは望んでいるはずなのです。互いの手を取り合って助け合うことが当たり前になる社会づくりに、私も少しでも貢献していきたいと思います。