さくら市ゆかりの偉人「足利島子」のマンガを刊行しました
マンガふるさとの偉人「足利島子」を発行しました
さくら市ミュージアムでは、子どもたちへの郷土教育およびキャリア教育での活用を目的として、江戸時代を通じて喜連川を治めていた喜連川足利氏誕生のきっかけを作った「足利島子」の生涯を描いたマンガを制作しました。
この事業は、公益財団法人B&G財団(ブルー・アンド・グリーンランド財団)による「ふるさとゆかりの偉人マンガの制作と活用事業」の助成を受け刊行したもので、市内の小中学校や県内の図書館などに配布するほか、B&G財団ホームページ上で無料公開しています。
また、一般の方向けにさくら市ミュージアムおよび和い話い広場にて販売しています。
概要
発行:さくら市教育委員会(さくら市ミュージアム−荒井寛方記念館−)
企画・制作:さくら市ふるさとゆかりの偉人マンガ制作実行委員会
作画:吉原澪(協力:宇都宮メディア・アーツ専門学校)
編集:有限会社随想舎
助成:B&G財団
画像をクリックするとB&G財団ホームページから無料でマンガを読むことができます。
あらすじ
喜連川足利氏は、室町時代に関東を治めていた足利尊氏の子・基氏から始まる「鎌倉公方」の血筋を引く家です。
戦国時代、足利氏は古河公方と小弓公方に分かれていました。島子は小弓公方の家に生まれましたが、戦国時代末期に喜連川を治めていた塩谷義上(しおのやよしひさ)のもとへ嫁ぎました。
小田原合戦には義上は豊臣秀吉のもとに参陣せず、塩谷氏は改易となりました。島子は、天下人となった秀吉のもとへ行き、跡継ぎがいない古河公方家と小田原北条氏に脅かされていた小弓公方家、両家の存続を憂いて、由緒ある鎌倉公方の存続を願い出ます。
その結果、喜連川の地が与えられて、古河・小弓公方が一つとなった喜連川足利氏が誕生しました。島子は秀吉の側室として京都へ行き、豊臣家と喜連川をつなぐ役目を果たしました。
秀吉の死後、島子は出家して月桂院(げっけいいん)となりましたが、宇都宮の蒲生秀行(がもうひでゆき)に嫁いだ徳川家康の娘、振姫とともに会津に行くなど、天下人との関係を保ち、喜連川家存続に貢献しました。
島子の弟、頼氏は町割りをおこない、喜連川の市街地の原型を作り、新しい時代の基盤を整備しました。
喜連川家は江戸時代を通じて、足利尊氏から始まる特別な由緒を持つ家として特別ともいえる待遇を江戸幕府から受けました。
その足利の由緒と伝統を喜連川の地で継承させた島子の功績と喜連川足利氏についてまとめた一冊です。
配布箇所
- 市内各小中学校
- 市内小学校5年生および6年生
- 市内中学校1年生県内各図書館および国立国会図書館
- 県内各教育委員会など
販売について
価格
1冊600円(税込)
販売箇所
- さくら市ミュージアム−荒井寛方記念館−(栃木県さくら市氏家1297)
- 和い話い広場(栃木県さくら市喜連川4355)